昭和49年12月18日 月次祭
信心におかげはなし、させて頂く信心におかげがあると、教えておられます。する信心にはおかげはなし、させて頂く信心におかげがあると。大変難しい事で御座います。皆さん信心をしております。けれども矢張りおかげは受けております。だからあのそういう意味ではないようです。皆さんがしておる信心。それでも矢張りおかげは受けております。けれどもする信心におかげは無しというのはどういう様なおかげが無いのか。又させて頂く信心にはどういうおかげがあるのか。
まあそんな所を今日は聞いて頂たいと思います。尽くしても尽くしてもまた尽くしても尽くし足りぬが真心、真なりけりという様な、まあ古歌でしょうか是は、古い歌が御座います。私も本当にそれはそうだなあと思うておりました。けれどもそれは、どこまでもする信心であります。もうする信心には、どれだけしても足りんのです。けれどもさせて頂くという信心にはです、そこが無い代わりにもう、はぁしたらじゃった、したらじゃったということがないのです。させて頂くのですから。
是は私この度一番それを実感させて頂いた事で御座いますけれども、今度の父のお国替えに際しまして、それをいよいよ思わせて頂ます。私は親孝行はしていない。けれども親孝行はさせて頂いた。させて頂いておると別に、まあなでたりさすったりした事もないし、お小遣いあげた事もないし、良い着物を買ってあげたと言う事もないし、それでいて親が勿体ない有り難いと、例えば子供の私に御礼を言うならば、是が本当に意味においての親孝行である。
昨日伊万里の竹内先生から弔電を頂いた中に、神様に孝行はされ親に孝行なされず、私共に本当の信心を如実に教えて頂いたと言う事。お爺ちゃまの御霊が極楽のおかげを頂かれて、是からは愈々上洛のおかげを頂かれると同時にね。合楽の示現活動の出来る御霊様としてのおかげを受けられたと言う事を有難いと思いますと言う様に、所謂その電文ですけれども、真にそのままの言葉を使うての弔電を頂きました。
神様に孝行をなされ親に孝行をなされ、日頃教えて頂いておる信心をそのまま目の当たりに見せて頂いたとあります。昨日総代の熊谷さんが何時もの事ながら神様の一分一厘間違いのないということをです、しかもそれは死ぬる生きると言う事に至るまでです、間違いのないということをあの様にお話を頂き、見教えを頂き、またそれを実感して参りましたが、この度のお爺ちゃまのお国替えに当たって、もう愈々その事が確かに間違いがないと言う事を解らせて頂いたと言うておられます。
神様に孝行をなされ、親に孝行をなされ、そこに私は本当の親孝行の成就が、こりゃまあ自分で自分の事を申しては可笑しいですけれどもです、その証拠には、はぁあればもう、一つこうしてあげておきたかったといった様な物がさらさらない事。ただ神様に御礼を申し上げる事だけしかない事で御座います。親に孝行をして神に不幸をし、親に不幸をしておる氏子がある。
是は言わばどう言う事になるかというと、んならその人が決して親不孝ではなかった、それこそ真の限りを尽くしても尽くしても、まあ尽くされたと致しましょうか。けれどもその人は結果において、あぁあれも足らだったまちっとこうしてあげれば良かったと言う事にしかなりません。尽くしても尽くしても尽くし足りぬのが真だ、これはだからどこまでも、神に孝行という事を第二にした人の、これはあり方だと思います。
ここにね、金光様の御信心の本当の、いわば今日最初に申しました、させてする信心にはおかげはなしと云う事はそういうおかげが受けられないと言う事です。するおかげにおかげはなし、させて頂く信心におかげがあるというのです。これはなら親孝行というだけの事じゃありません。信心もしかりであります。いうならばどう言う事かというと、親に不幸をしてと言う事は、先ず神に孝行する為の物なんだ。
ですから神様が親孝行させて下さる。次にはどう教えておられるかというと、神に孝行をし、親に不幸をし、その後に親に孝行しておる氏子があるという、そこの所のおかげを私は頂いておったと思うのです。神に孝行をし親に不幸をし、そして後に親に孝行するというのは所謂させて頂く親孝行なのです。ですから何と申しましょうかね、もう本当にああもしておけばよかった、こうもしておけばよかった。
はぁ本当に真というものはさせて頂いてもさせて頂いても足りぬのが真だというのを、そういう常識を私は破った所にお道の信心があると思うんです。信心でもそうです。させて頂く信心にはクビはないと思うです。する信心にまだ足らんまだ足らんと言う事になって来るです。勿論そのまだ足らんまだ足らんと言う所も尊いです。けれどもそこを私はどう言う事かというと、いわゆる神様を中心に申し上げたと言う事なのです。
いうならば神様本意の信心をさせて頂く所から、神様がまた氏子本意になって下さる、おかげを頂いた時に、もうここには不平もなからなければ、不足もないと言う事になるのです。親に孝行をいや、神に孝行をなされ、その私が神に孝行をしたいうならば、神様を何時の場合にも中心に申し上げたと言う所に、値打ちがあるのです。その後に親孝行をさせて頂いた、親孝行というのは、撫ぜた事もなからなきゃ擦った事もない。お小遣いを上げた事もない、着物を作ってあげた事もない。
けれどもなら両親の部屋に参りますと、もうそれこそさせて頂いておるなあと、家の息子は本当に冷たいという様な感じを受けない。いうならば月に私共が両親と本当にゆっくり会うのは月次祭の夕食の時だけでした。家内と私と一緒に両親とお神酒が好きですから一献酌み交わさせて貰う、もう是がもうこうこよない楽しみの様でした。あ明日先生どんが来るねとこう、前の日にはちゃっとそれをその。
母にいう申しますそうで。そうすっとやっぱ何とはなしに部屋の中もこそこそこそこそと片付けたり何たりするらしいです。丁度御大祭の前日に、両親が御大祭のお供えを持って参りました。弟のが戦死を致しましたからそのう、それのお金が両親に何時も頂きます。それからお国から頂くお年寄りの年金も御座います。それでそれが十万たまるとね、十万たまると、お供えをするのが楽しみらしいです。
だからもう母にはちょこっとばっかりしかやらんな自分がこう、家のお爺ちゃんばっかりはがめついから、私にはほんなもう「いくがつしか」やられん。けれども父にはして他に使う事がないですから結局お供えなんです。ほで今度の大祭にゃどうでも十万円お供えしたいというのが、どうしても少しばっかり足りなかった。前の日になって計算したところが千円足らんそうでした。婆さんにはへそくりを出せと言うそうですからね、へそくりなんでん私が持っとるはずがなかじゃんの。
んなら九百円でよかげなは十万九千九百円あった。あ百円あっただから母がその九百、あの九百円出した。そして十万円にしてそしてその五万円を、奥城奥城建立、あ奥城御造営費と書いてありました。すと後の五万円を御大祭のお供えとして、その前日お供えをしております。だから後からその、泣いたり笑うたりしながらですもう母が。とうとうお爺ちゃんなあ私に九百円借ったまま、財布ば見たらいっちょん入っとらんじゃった。ぎりぎり借ったもんですからね。
という様に私共が貰うとか作って貰おうと言う事は、洋服ダンスなんかがあの御座いましたがそういう金が入った時に私が洋服ダンスを持たんからというて、洋服タンスを買ってくれたのもやっぱり父で御座いました。ですからね買うてやるから親孝行じゃない買うてもろうた方が親孝行だと言う事です、いうならね撫でたりさすもう擦ったりするよりも、第一父がです肩がこったの腰が痛いのと言うた事のない程のおかげを頂いておると言う事が、もし私の信心によるものであるならば、こんな親孝行はないでしょう。
それこそもう社会またはあの政治面の事だったら、そりゃとっても詳しかったです。それこそ毎日隅から隅まで新聞を読みますから。もう相撲でも始まりますとあの小さい字あのずっと見ながらですね、あの勝ち負けを記して行かなきゃいけん。いうならば数えの93満の90、91歳と七ヶ月か八ヶ月になったそうで御座いますけれども。いわゆる数えの93までもです、いうなら恍惚の人的な者がさらさらなかった事です。もう家の爺ちゃんちっとは惚けっちゃったじゃろうかと。
大体8090になると申しますでしょう。そういうその恍惚的な所がなかったということ。孫達と将棋をさせてもいっちょん狂わない。それでいて痛いもなからなければ痒いもない。今度風邪を引きましてから何時か二日目、今度お爺ちゃんの風邪が普通の風邪とはちょっと違ぁうごたると家内が申しますもん。だから丁度五日休みつきまして三日間家内が一緒に、あちらで休みました。大祭の日も皆んな御用を頂かれて、久富先生と繁雄さんと、最後に挨拶に行っとられますと、もう当たり前に挨拶をして帰った。
あの帰っとられますからとても、その晩繁雄さん帰られたその晩どうと言う事があろうと言う事、なんて思いもしなかったというとられます。私はその晩遅うなりましたが十二時ぐらい、下がりましたら家内がその夜に来まして、ちょっとお爺ちゃんのお様子が違うからと。それからあのすぐ平塚先生がおいで頂ました。それから注射を二本打たれて、まあだ今日明日という事じゃあない、けれどもまあ変わった事があったら又お電話して下さいというてまあおいで帰られた。
その帰られて皆んな子供達も孫たちも皆んな、皆んな集まっておりましたから、あのうもうそんならみんな休んでくれ、なら姉さん今夜は私が側におるけんで休んでくれと言うて、私も家内も部屋に帰っておりましたらすぐに妹が迎えに来ました。したらして参りましたらもうあのいわばお参りしよる所でした。もう言うても分かりません。お爺ちゃんきついねえと私が、あのう、おらびましたらこうして手を握っておりましたら、手をかすかにこうこの位。
まあ手を握ろうと思ったのじゃないでしょうか、私の手握り返そうと思ったのじゃないでしょうか。口にぶつぶつ何か言いそうですけれども、もうものになって出ませんでした。もう恐らくあれがものが出たならば、有り難うをいうて言うた事じゃなかろうかというふうに思いました。もうそれこそもうすうっともあっとも、ごろっとも言いませんでした。うんそういう様ないうなら有り難いお国替えのおかげを頂いて、そして私が本当にするし、する親孝行じゃだめであり。
いわゆるさせて頂く親孝行の素晴らしさを本当に今度感じました。信心も同じ事する信心にはおかげはない、させて頂く信心におかげがあると仰せられる、果して私共の信心が親孝行しおりゃせんか。信心しおりはせんか。それではね、矢張り本当なおかげにならないということなんです。そこでです、日頃私共が竹内先生のそれじゃないけれども、神様に孝行がなされということが大事で御座います。
そして後に親に不幸をするというところを通り抜けて、そして親に孝行をしたところに一つの成就があった訳で御座います、私と父の間の。そこにはです、いわば私は恐らく父も、それこそ、心安し。昨日どなたでしたか、お取次ぎしよる時、ここのお爺ちゃまこそ、もう何にも思い残しなさるということはあんなさらじゃったじゃろうとこう言うております。私もそれを思います。
はあ家にあの息子があの娘がまぁだとかね、その事がない。是からやって行けるとか、もうとにかく神様のおかげを頂いておるから、愈々おかげ頂いて行く事だけにしか思わなかったでしょうから。昨日お通夜の時です、隣の従兄弟があのから初めて聞きましたんですけれども、私が愈々修行が苛烈になって、それこそあの破れた服を着て、破れた靴を履いて、破れた鞄を下げて。
もう今日も明日もまとにかくお話回っておるという時代、もう本当に私共は小さい時から父に怒られた事もなからなければ、叩かれた事も大きな声された事御座いませんです、父だけは。その父がですもう愈々思い余った様に、今日先生話がその先生とは申しませんその私の今日総いっちゃんあんたに話があると。それをお前も来いというて母を呼びました。そして私にえそれこそ涙ながらに頼むように申しました。あんたもね商売をすりゃあ馬鹿じゃない。人並みの事が出来るのだから。
まぁ信心をやめろとは言わんけれども、商売のかた片手間に、信心をさせて貰うちゃあどうかと。このままで行ったらです、私達は話しよる。是はもう総一郎が今あの様な状態ならばです、私だんそれこそお四国参りなっとん始めじゃこてというて夫婦で話しよるよというて涙を流しました。私はそれを聞かせて頂くとです、もうここもう可笑しゅうして可笑しゅうしてたまらなかったですその本当に。
実感としてもうそれけんこげな、涙ながらに話しよってあんた笑う事ば笑うちから、さあ御祈念御祈念と言うと、みんな御神前に出て参ります。御祈念をさせて頂ますと御理解を頂く。そんならもう、一がんばりという様な状態で御座いました。その時分の事ではなかったかと思うんです。ある時に隣に父の姉にあたりますから、姉さんあんたから総一郎に言うてくれ、そして今申しました様にです。
信心も良いけれども生活の事も考え、商売の事もさせて貰うてからの信心をする様にあんたからいうてくれというて、その爺っちゃんが見えたと。それを私が横で聞きよったら、母がどう言う事を言うかというと、徳ちゃんあがしこ一生懸命神様になっとるとじゃけん、神様が顔を立てて下さるくさいっち、もうここが一がんばりばいというて、その叔母がいうたという話をお茶の時しておりました。
こりゃ親戚の私が大変信用しておりました、従兄弟にもやっぱりそう言う事を言うておった事を私あの、覚えておりますが、もうそのう何と申しますか、その時分が、言うならば神に孝行をして親に不幸を一番させておった時代だとこう思うのです。それから段々おかげを頂いてんなら、神様からさせて頂く孝行が出来る様になりましたら、皆さんが本当に言われます様に、本当にあのお年寄りの部屋こそ極楽だろう。ああいうお爺ちゃまお婆ちゃまこそが極楽じゃな、極楽と言うとこはあれではなかろうかと。
それはさせて頂いておる親孝行の中から、そういうおかげが頂けると私は思うんです。もう今朝からの教話の中に、何時もの様に教典を頂きましたら、あの御理解という全然きょうあの教話がない所を頂くんですね。御理解御理解と白紙ん所に書いてある、それも御理解の御という御という一字を頂くんです。そこでここではです一切の事に御の字を付けてとそれも私共がです、厳しい自然の働きとの対決、それを合楽では成り行きを大切にするとこういう。どういうそれが痛い事であろうが情けない事であろうが、それを成り行きとして有り難く頂く。所が中々頂けない所に対決がある。
そこに一生懸命の信心をさせて頂く所からです、段々その対決しておるその問題が、神様のご都合であった、神愛であったと言う事が解った時に初めてあれもおかげであった、是もおかげであったと言う事が分かる。中々初めから御の字は点けられない。そういう体験を積んで積んで積み上げで行く内に、全ての事がそれは暗い事でも冷たい事でも、それこそ苦い事でも辛い事でもがおかげだといえる。
そこに初めて御の字を使う訳ですけれども私は今朝皆さんに聞いて頂いたのは、やっぱりそれこそ素人でも解らない者でも、御の字を付けなければおられない程しのおかげを受けると言う事が本当のおかげだとこう思う。例えばこの度の父のお国替えの事を考えて見てもそれこそ一事が万事御の字を付けなければおられない事、ばぁっかりだったと言う事です。時間が例えばちょっと狂うただけでも今日の月次祭は仕えられとらんです。
昨日洗霊の式がありました、所謂密葬で御座いました。今日までが密葬で御座いましたが、今日は火葬祭ね。そして明日の告別式。そして中にはこうして御月次祭が朝もあっておる。で当たり前にこう出来ておる。はりゃどうでしょうかね、あのう御大祭のぜん、一日なら早かったからです。いかにそれは御目出度いの有り難いのというてもです、矢張り私祭主としてです、矢張り父のその喪というか。
か心に掛かる事になって来るでしょうが、もう大祭もそれこそ大祭の雰囲気を母が聞いて、もう今日のお参りも大変なお参りじゃったげな。というて母が、あの爺に申しましたら、大変喜んで御直会の物でも頂い、それこそ有り難い勿体ないの中に、そのう朝の二時四十分がお国替えで御座いますから、もう考えますともう、その時間の事天気の具合の事。昨日もお通夜中に雨が降ってちこう言いますから、これはね天が大地を清めて下さりよるとよというていうた事でした。
事実そうだと私は思います。明日のいわば、告別式と言う事になりますけれども。本当にこれは私は悲しいとか、そういうものではなくて、もうどこまでも神様に御礼を申し上げる所の告別式に、式になるだろうとこう思います。本人と致しましてもいわゆる90年間という長い間の御生かしのおかげを頂いての事、あれやらこれやら思うにつけてもです本当にさせて頂く信心させて頂く親孝行、だからもう本当に私はさせて頂けれる信心を目指さなければいけない。
本当に誰が聞いても見ても御の字を付けなければおられない程しのおかげをです、日頃私共がですどの様な事の中にも神様のご都合である、神愛であると言う事を分かり悟らせてもろうておかげを頂いて行く。いわゆる成り行きを愈々大切にさせて頂く信心から、私は本当に御の字を付けなければおられない、おかげの展開とはなって来ると思うので御座います。明日は又あの。
皆さんにご参拝を頂かなければならんので御座いますけれども、それこそ熊谷さんではないですけど。日頃先生が教えて頂いておる一部一厘間違いのない神様の御働きをです、今度のお婆ちゃまのお国替えの中に見た。私はそういういうならば、手本を示して下されたという、例えば竹内先生の弔電の中にもです、神様に孝行をなされ親に孝行をなされ、ここの所をです、皆さんはいうならば私に。
床ととりはないけれどもここだけは本気で一つ頂いて頂たい。神様に孝行を親に孝行をして。如何にも是は素晴らしい様ですけれども、それはどこ迄もです、尽くしても尽くしてもまた尽くしても尽くしても、尽くし足りぬが真なりけりと言った様な事で終わったんじゃだめです。これは普通常識です。ですからもう一つ向こうに極楽の向こうに合楽がある様に。
その常識を逸したもう一つ向こうにです、それこそ尽くしても尽くしても尽くし足りんのじゃなくてです、神様が尽くさせて下さったのですから、そこに本に、まちっとあげんやっときゃ良かったということが神様に対するかえって不足になるのです。それを不足に思わんですむ程しの、皆さん是は生きる死ぬるの事だけじゃありませんよ。一事が万事に、そういうおかげを頂いて頂たいと思うので御座います。
どうぞ。